労働の科学

 我が国が大正時代だった頃、アメリカ合衆国は空前の好景気にわいていました。「狂騒の20年代(Roaring '20s)」と呼ばれたこの時代は、アメリカの文化や芸術、社会が隆盛を極め、ジャズやフラッパー(Flapper)というファッションが流行し、映画・ラジオが生活の一部となるとともに、自動車産業などが急成長しました。

 さて、今回は、職場環境と生産性の関係について、経営学をかじったことがある方なら一度は学んだことのある「ホーソン実験」をとりあげてみたいと思います。

 「ホーソン実験」とは、1924年から1932年の約8年間をかけて、アメリカ合衆国のウエスタン・エレクトロニック(Western Electric Company)社のホーソン工場(Hawthorne Works)にて実施された、労働の生産性を上げる要因とは何かを追求する目的で行われた大規模な心理学実験です。

 その中で様々な検証が行われましたが、例えば「継電器組立作業実験」では継電器組立工を隔離されたテストルームに移し、一定の期間、休憩の与え方、サンドイッチなどの軽食やティータイム(ケーキなどの茶菓を提供)の設定、休日の追加など、様々に作業条件を変えて、作業員の生産高との関係を測定し、作業員の作業態度の観察が行われました。

 この実験では、軽食や茶菓の提供、休憩の導入・増加や作業時間の短縮は作業員の疲労感を軽減し、それによって作業能率が高まると思われていましたが、実際の実験結果からは、① 休憩時間の導入・増加、作業時間の短縮、軽食や茶菓の提供といった作業条件の変更とは無関係に生産高が増加した、② テストルームでの作業に対して、作業者たちが満足感を示した、③ 作業員一人一人が孤立した個人ではなく、作業集団の一員であるという自覚を持ち、共通の感情・集団の忠誠心によって結びついた仲間集団という意識を持つに至った、ということが明らかになりました。

 また、最後に行われた「バンク配線作業観察」では、小規模な作業集団を観察室に隔離し実施されました。この作業集団は、配線工9名、はんだ付け工3名及び検査工2名の14名から構成され、この実験の目的は、作業員達がどのようにして生産高を増加させるかということを明らかにするものでした。

 当初の仮説は、作業員達は互いに協力して総生産高を上げるものと考えられていましたが、観察の結果、総生産高を増大させるのではなく、生産高を一定に保とうとしていることが判明しました。

 このことから、作業者達には次のような一定の集団規範があることが明らかになりました。① 仕事に精を出しすぎてはならない。それをやるのは「賃率破り(rate buster)である。なぜならば、より多くの作業ができるとわかれば、経営者は標準作業量を上げるであろうし、そうなれば従来と同じ賃金を得るために余計に働かなければならない。② 仕事を怠けすぎてはならない。それは「さぼり屋(chiseler)」である。なぜならば、仕事をやりもしないで集団出来高給制の下で割高の賃金をもらうことになるからである。③ 作業者の仲間の誰かが迷惑を被ることを監督者に話してはならない。それをする者は「裏切り者(squealer)」である。

 現在の我が国において、アメリカ合衆国にて100年も前に行われた、この「ホーソン実験」が、今なお労務管理の現場における中心的なセオリーとして語り継がれているのは何故でしょうか?

 それは、アメリカ合衆国では個人主義が重視されると信じられている我が国において、「出る杭は打たれる」、あるいは「自分の首を自分で締める」的な“ムラ社会”の様相を同国の労働現場に感じ取られる、その衝撃と共感からではないかと、私は思います。

 誰かの仕事の負担を軽減したら、他の誰かの仕事の負担が増加する、また、誰かが頑張りすぎれば、結局賃金があがらずに全員の作業量のノルマだけが増えてしまう、だから仕事量を一定に保とうとするのだという感覚は、私たち日本人に強く刺さったのかもしれません。

 そうしたことを考えながら、その後に制作された、人間の尊厳が失われ、工場において機械の一部と化した労働者の悲哀を「笑い」で表現した傑作であり、今日、世界の誰しもが知る名作となっているチャールズ・チャップリン監督・主演の『モダンタイムス(Modern Times)』(1936年アメリカ合衆国、我が国での初公開は昭和13(1938)年2月9日)をみると、働くこととは何かについて、また違った視点で見えてくるものがあるのかもしれません。